今日、『青が散る』(宮本輝)を読了、もう7回は読んだだろうか?
大学入ってからはあまり小説を読んでないけど、
未だに自分の中で『青が散る』を越える作品に巡り会えない。
まあ詳しい感想なんかは
コッチを参照してもらいたい。(Yahoo!ブログから引っ越してきた記事で文字真赤なので注意)
やっぱり読むたびに違うところに目が行く。
この『青が散る』を最初に読んだのは高校生の時だったが、
その時は「大学生ってこんなんなんだ」と大学生活を夢見た。
浪人してる間に読んだときは「こういう大学生活を送るんだ!」という
大学受験へのモチベーションの維持に一役買った。
そして大学生になってからは2回生の時の感想が
コレ。
今回読んでる途中の感想が
コレ。
今回読み終わっての感想を端的に表すなら、
こんなに泣ける作品だったっけ?もうなんか燎平が志摩に夏子の母の言葉を夏子に伝えに行くところあたりからラストまで常に泣きそうだったような。
何回も読んでるから当然後の展開は知っているわけだけど、それでもなんか…
祐子との一夜の部分も、
今までは興奮(性的な意味で)しながら読んでいたのに、
今読むと、これほど物悲しい一夜もないな、と思える。
そしてラスト。
「燎平、私みたいな傷物はいや?」
という夏子の台詞に何も言わない、言えない燎平…
四年間恋焦がれ続けた女性からの待ち望んだと言える言葉に何も言えない。
当然夏子が傷物だからダメだというわけではなく、
自分も傷物であるという意識が燎平にもある、祐子との一夜によって。
そこで重い意味を持ってくるのが英文学教授の台詞。
「若者は自由でなくてはいけないが、もうひとつ、潔癖でなくてはいけない。自由と潔癖こそ、青春の特権ではないか」燎平が非童貞だから、夏子が非処女だから潔癖でない、というわけでは当然ない。
しかし二人とも自分が潔癖でないことやその理由を知っている。
あまりにも切ないラストシーンだ…
今までは「なんで燎平は夏子の問いに答えてあげないんだ」と思っていたが、
今ならその理由がわかる気がする。
そしてこの話が現代であったら、ラストは全く重くない物になってしまうだろうと思う。
これほどの付き合いのある二人なら当然ケータイ番号やメアドなんかは知ってて然るべきであり、
「メールするね」なり「電話するね」なり社交辞令的に言えるからだ。
そう考えると携帯電話というのは繋がりを深くする物のようで逆に浅くしてしまうように感じられる。
まあ最近の自分はケータイに助けられてばかりだけどね。
と、これが大学4回生時点での感想。
大学生になり、燎平とは全く違う非リア充街道まっしぐらの僕の大学生活(留年フラグゲット)だが、
今回読み返して、そして自分の大学生活を思い返してみて、
それなりにそれなり(わけのわからない日本語だけど)だったんじゃないかな、と。
まあ色々あったし。
今僕の頭の中には
人は皆、青春に忘れ物をするという言葉が浮かんでいるのだが、
この言葉が何かの小説で呼んだのか、漫画で読んだのか、はたまたエロゲーで見たのか、僕のオリジナルなのか、
定かではないけど、まさにその通りなんだと実感。
未だに色々あったことで泣いてしまうのは忘れ物をしたからなんだよ。
とりあえず今の僕には四国に殴りたい男がいる。
スパナで殴り返されてもいいから殴りたい男がどこかに。
明後日友達(♂)の誕生日だし、プレゼントとして『青が散る』を買って渡しつけてやろうか?
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青が散るにつられてここへお邪魔させて頂きました。
自分は今26ですが、初めて青が散るを読んで忘れられない一冊になったのが2年前です。
この先も大切な一冊であって欲しいのですが、自分は変わってしまうかな…どうかな…。
今後も宮本輝の本を乱読して「青」を探してみます。