朝から雨で最高気温が22℃、いきなり秋になったような気もする。
少し肌寒く感じながらも部屋で一人FF?をしていた。
午後3時20分、ケータイが鳴る。「親類」グループの着信音だ。
退屈そうな母さんあたりが暇つぶしのためにメールしてきたのかと思ったら違った。
父さんだった。
2日くらい家の電話に出てないことや、今日の朝のメールに対する心配くらいのメールかと思った。
じいさんが倒れたらしい。
状況から見て脳梗塞らしい。
書いてあることを理解するのに時間がかかった。
意味がわからない。
こないだ帰ったときは今までと変わりなく元気そうだったのに。
父さんのメールには5時にはどうなるかがわかるとあった。
どうすればいいのかわからなかった。
こんなときにゲームをしている場合じゃないと思ってPS2の電源を切った。
でもそれからどうすればいい?
ひたすら助かるよう祈り続ければいい?
しかし思考は悪い方にしか傾かない。
「死んでしまったら山口に帰らなきゃいけない」
「もうすぐ誕生日だから電話で『長生きしんさい』と言うつもりだったのに」
「そういえば数珠を買ってない」
こんなこと考えてたら現実になってしまうかもしれないと思った。
だからパソコンに向かって他愛もなくネットに繋いだ。
「何か一つ良い事があると、次から次へと幸運がやってくるでしょう。」とか書いてある占いは
嘘っぱちだ。
しかしどのページを見てもどうしてもじいさんのことを考えてしまう。
当たり前だ。
肉親の死が現実感を持って迫ってくるのは物心ついて以来初めてなのだから。
パソコンのモニターから目を離して壁を見つめる。
そして祈った。
「じいさんが死にませんように」
午後4時6分、再びケータイが鳴った。
父さんからだ。
「発見が早く、詰まりかけたくらいのようなので、帰ってもいいくらいのようです」
症状は軽かったらしく、一応入院するらしい。
「あまり心配はないようです」
この文を見てやっと涙が出てきた。
本当によかった。
「死」は恐ろしい。
けれど我はまだ若いので「自分の死」に関してはさほど恐ろしく感じることはない。
それよりも恐ろしいのは今日感じたような「身近な人の死」なのだと思う。
難病にかかってるばあちゃんの死も怖い。
同じく難病にかかってる飼い犬の死も怖い。
そして今日のじいさんの死も怖い。
できることなら誰も死んでほしくない。
でもその願いは絶対に叶うことはない。
人間も犬も死ぬから。
我にできることと言えば我の元気な姿を見せ、声を聞かせてあげること。
明後日がじいさんの誕生日。
電話できるようなら「長生きしんさい」と言ってやる。
blog name:書く。口にできないから。
Author:U3
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