ドラゴンボールってあるじゃん?
20年くらい前の作品なのに、
今の小学校低学年の子供でもかめはめ波打とうと修行してるような、
そんな大ヒット漫画。
ドラゴンボールで画期的だったのはスカウターの存在だとなんかで見たことがあるような気がしないでもない。
栽培マンは1200で、界王様のとこで修行したあとの悟空は5000で、地球に来た時のベジータが18000で、汚い花火を打ち上げたときのベジータが24000で、ギニュー隊長が120000で、重力修業後の界王拳悟空が180000で、ネイルが42000で、フリーザ様第一形態が530000という数字がスカウターによって明確化されている。
この「強さの数値化」というのが画期的だったらしい。
それまでのバトル漫画では、
ケンシロウがシンより強いだとか、
山田太郎が賀間さんより強かったはずだとか、
相対的な強さは分かるけれども絶対的な強さは分からなかった。、
それをスカウターの数値というもははっきりと顕在化させた。
そういう点で画期的だったらしい。
(・・・ってここまで書いてみて思ったけど、よくよく考えりゃキン肉マンでは超人の強さは超人強度という数値で表されてたよな。まあいいか。)
現代社会においても、ドラゴンボールの戦闘力のように、
今まで数値化されてなかったものが数値化されるようになってるものがあると僕は思う。
それが、
コミュニケーション能力。
今はこのコミュニケーションの戦闘力を数値として視認できる時代なのだ。
一昔前なら知り合いの数っていうのは、手帳のアドレス帳なんかで数の確認はできたかもしれないけど、
おいそれと人に言ったり見せたりするようなものでもなかったし、明確な数値も見えにくかった。
しかし昨今ではそれが変化してきている。
まずは携帯電話。
稀にアドレス帳どれだけ埋まってるとか、異性のアドレスがどれだけあるだとかが話題の種になったりする。
アドレスの件数なんかはケータイを少しいじればすぐに表示される。
とはいうものの、これらもまだまだ人に見せつけるようなものではない。
だが、時代の寵児であったmixiと現在の寵児であるtwitterは違う。
マイミク数やフォロワー数という数値で、誰もが誰かのコミュニケーション戦闘力を見ることができる。
はっきり言って、コミュニケーション能力の数値化というのは、
僕みたいなコミュ力不足のいわゆる「非コミュ」には恐怖以外の何物でもない。
アドレス500件だとか、マイミク200人だとか、フォロワー500人だとかいうのは、
その10分の1のコミュニケーション戦闘力しかない僕を威圧する。
ある意味「数の暴力」だ。
コミュニケーション戦闘力が悟空とかベジータみたいな人がいる一方で、
僕みたいなそういった人たちについていけないヤムチャもいる。
そういう今まで見えにくかったものをケータイやmixiやtwitterはありありと浮かび上がらせる。
気分的にはこんな感じ↓
トv'Z -‐z__ノ!_
. ,.'ニ.V _,-─ ,==、、く`
,. /ァ'┴' ゞ !,.-`ニヽ、トl、:. ,
rュ. .:{_ '' ヾ 、_カ-‐'¨ ̄フヽ`'|::: ,.、
、 ,ェr<`iァ'^´ 〃 lヽ ミ ∧!::: .´
ゞ'-''ス. ゛=、、、、 " _/ノf:::: ~
r_;. ::Y ''/_, ゝァナ=ニ、 メノ::: ` ;.
_ ::\,!ィ'TV =ー-、_メ:::: r、
゙ ::,ィl l. レト,ミ _/L `ヽ::: ._´
;. :ゞLレ':: \ `ー’,ィァト.:: ,.
~ ,. ,:ュ. `ヽニj/l |/::
_ .. ,、 :l !レ'::: ,. "マジ、Communication let me down。
そうやって不平垂れつつ自分からあまり進んでコミュニケーションもとらないんだけどね。
キツイ修行はしないし、修行しても強くならない、ヤムチャだもの。
そんなこと言うならケータイを放り捨てて、mixiを退会して、twitterも登録解除すればいいじゃん、って話だけどね。
でもヤムチャな僕でも悟空さんたちは構ってくれたりするのよ。
天津飯みたいな仲間もいるのよ。
あんまり物語に絡まなくてもヤムチャは何気に最後まで出演してるのよ。
だから僕は悟空やベジータたちの中でひっそり生きていくのよ。
ビバ、ヤムチャ根性。
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マイミク999人いる人とか意味わかんないし。
それがコミュニケーション能力あるかと聞かれると…ただの節操ナシぢゃね?とww←
コミュニケーション取りたい相手と取れてればいんです^^