さて、皆様、僕は
昨日の記事に小さな釣り針を仕込んでおきました。
うーん、釣り針というか、魚の小骨みたいなもんかな?
記事を読んで、喉に小骨が引っ掛かったかのような違和感を覚えなかっただろうか?
何も感じなかったという人は、もう一回読みなおしてみよう。
…
……
………
読んだ?釣り針分かった?
僕が仕掛けた釣り針というのは、
「たちまち」という言葉。
実はこれ広島弁。
昨日の記事で書いた「たちまち」は、標準語で言うところの「すぐ」という時間的短さを表す意味ではなく、
「取り敢えず」「差し当たって」という意味で使っている。
昨日の記事の当該部分を「すぐ」の意味で読んだ方は、「この文章おかしくね?」とか思ってくれたであろう。
広島弁というと、誰しもが「じゃけえ」という言葉を思い浮かべると思うが、
広島弁は「じゃけえ」だけじゃないんじゃけえね!勘違いせんとってよ!とは言ったものの、「たちまち」という広島弁は、
僕の世代の広島人でもわかりにくい言葉になっていると思う。
僕がこの言葉を知ったのは、小学校の音楽の先生が使っていたからだし。
生まれてから10年くらいは広島で育っていても知らなかったということだ。
どこの地方でもそうだと思うけど、バリバリの方言を使う人ってのは年配の方が多くて、
若い世代だとそこまでキツイ方言は出ない。
「じゃけえ」なんてのは使用頻度が非常に高いのでこれからも残っていくだろうけど、
「たちまち」なんてのはさして使用頻度も高くないし、そのうち消えていく語彙だと思う。
実際、僕は実生活で「たちまち」なんて全然使ったことがない。
昨日の記事にしたって、一旦「差し当たっての目標は」と書いた後に、
今日のこの記事の布石にと思って「たちまちの目標は」と書き直したし。
使われないものはいずれ消えていくのが言葉の宿命であるというのは今も昔も変わらないとは思うけど、
情報伝達の媒体や速度の進化で、消えていくスピードが速くなっているんじゃないかと思う。
小学校からの英語教育なんかも、グローバル化する世界の中では必要なのかもしれないけど、
自国の言葉を残すための方言教育なんてのもせにゃあいけん、
と僕は思うんじゃけどどうかいのう?
方言話ついでに、
自分では標準語だと思っていた言葉が、実は方言で、他の地方では通じないと知って驚くことってあるよね。
僕としては「たう」がその最たる例なんだけど。
「この鉄棒、高すぎるけえ手がたわん」とか言わんのん?って思ったね、「たう」が標準語じゃないって初めて知った時は。
あ、ちなみに「たう」は動詞で、標準語で言う「(手や足が)届く」の意味ね。
キャッチボールとかしてて、投げたボールが相手に届かなかったときにも、
「ゴメーン!たわんかったー!」とか言うかも。
「たう」はさっきの「たちまち」と違ってしょっちゅう使う言葉。
まあ、だから標準語と勘違いしてしまうんだろうけど。
「あおじ」や「すいばり」も標準語だと思ってた言葉かな。
これらの言葉の意味を知りたい方は
Wikipediaの広島弁のページをどうぞ。
Wikipedia見てると、僕の広島弁も全然だなあと思う。
知らない言葉多いいし。
つーか「げぼ」とか「ころ」とか「さし」も広島弁だったのか・・・知らんかった・・・
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この前話題にしたと思うんだけど忘れたw
方言そのものがない件
これは非常に寂しい
東京はつまらん所じゃけぇね