こないだ読書に関する持論を展開してるWebサイトを見かけた。(ページ名とかは忘れたからリンク貼れない)
その中の「悪い読書の仕方」について書かれてた部分で、
真っ先に「数だけこなす読書」というのが挙げられてた。
無駄に積み本ばかり増やしている僕には耳の痛い話ですよ。
あとは「読書とは現実を見るためのものであり、現実から目を背けるための読書は間違ってる」みたいなことも書かれてた。
考えるべきことから逃げるために物語の世界に没頭してる僕にはこれまた耳が痛い話。
要は「読書から何かを得て自らの血肉にしなきゃダメダメよ」って話なんだけど、
僕ちん頭悪いからそういうのよく分んないや。
小説なり漫画なりで、登場人物の成長物語なんかを読んだりしても、
他の人はもしかしたらそれを見て「自分も頑張ろう」とか思うのかもしれないけど、
生憎と僕の脳細胞はそういう考えを生じさせるに至らない。
あくまで物語は物語、僕は僕、と達観やら諦観やらのフィルターを通して観てしまう。
そういう物語は好きだし、ラストまで読むと主人公の成長に感動しカタルシスを覚えたりはするけどね。
それで僕が変わるかっていうと全く変わらんわけですよ。
本読んで性格変わるんだったら僕だって魔王を倒しにまずは盗賊の鍵でも見つけに行くっつーの。
初めて性格診断では「いっぴきおおかみ」になったけど今考えるとそれって合ってんじゃねとか思うっつーの。(ただのぼっち)
それはさておきそうなると、僕がしている読書には意義があるのかな~、なんて思ったり思ったり。
まあ、読書の形なんてのは人それぞれだ、ってことも考えるけど、
わたくし、自分を否定する意見は真っ向から受け止めて、さらに内部で増幅する性質でしてね。
こういう「読書論」を見てちょっと凹んでるであります。
ちなみに、自分に肯定的な意見は話半分に聞くか、もしくはそれを否定する。
生粋のネガティブシンキングマン、ネガティブシンカーでしてよ。
次にパワプロのサクセスで自分の名前で投手作ったときは、
是非ともシンカーをオリジナル変化球にして「ネガティブシンカー」と名付けよう。
そしてより落差を大きくするのだ!
自分に肯定的なものを真っ向から受け止め、否定的なものを話半分にしたほうが、多分人生楽だろうなあ。
しかし自分の読書のやり方や在り方を否定されたところで、読書はやめられないんだけどね。
ゲームか読書でもしてないと頭の中がエライこと(時々エロいこと)になるし。
いや~、イライラが募るとなんかレイプ願望が生まれるね。
ほら、僕って羊の皮を被った
ヤムチャだし。
そんなヤムチャは昼は一般ゲー、夜はエロゲー、寝る前に1,2時間読書、というのが最近のライフスタイル。
朝?朝って何?
そんなかんじでちびちびとリアルと
バーチャル、両方の本棚を埋めていっとります。
昨日は「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん『i』記憶の形成は作為」を読み終えた。
こないだ、
みやこじさんにオススメのラノベを聞かれてちょっと困ったばかりだが、
ヤバイ、コレ、めっちゃ薦めたい。この本に収録されている
「とってももしもにもしかして『壊れていない正しさのある世界なら』」という短編が
僕は凄く気に入ってしまった。
それまでの「みーまー」の話が、全部この「とってももしも~」という話を書くための布石だったんじゃないかと思える。
菅原のケータイの着信音が「ラブストーリーは突然に」ってなんの冗談だよ、って話だよ、
「あの日あの時あの場所で君に会えなかったら僕らはいつまでも見知らぬ二人のまま」なんて。
あと、「みーまー」の作者である入間人間の作品ではドラクエやジョジョをパロった表現が多くて、
そのこともこの人の作品を僕が好んで読む要因ではあるが、
「とってももしも~」ではついに「すごいよ!マサルさん」ネタまで入ってた!しかもさりげなく。
引き出しの多さに感服するわ。
そこそこに詳しい感想はブクログの方に書いてるんでよかったらそちらもご覧あれ。
だがしかし、この本をオススメするには「みーまー」を1巻から全部読んでもらわにゃならんわけだが。
というわけでオススメします、「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃんシリーズ」。
世界が同じで微妙に各作品リンクしてる、同作者の「電波女と青春男シリーズ」「探偵・花咲太郎は閃かない」もオススメ。
なんかこれだと入間人間厨って感じだな。
とりあえず僕は「みーまー」の既刊を全部読んでから他の積み本読もう。
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