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中学1年か2年の時だったと思うが、
学校の行事として演劇の舞台を見に行った。
歌の「翼をください」をモチーフにした演劇だったことは覚えてるけど、
ストーリーとかは全く覚えていない。
ストーリーは覚えてないけど自分の行動は覚えてる。
舞台終了後、役者さんに質問をする機会が設けられたのだが、
その場で若き日の僕は、何をとち狂ったのか、
「○○(登場人物)のその後はどうなったんですか?」ということを役者さんに質問したのである。
まあそんな質問したことなんて誰も覚えていないのだろうが、
自分の中では黒歴史の一つなのである。
ちょっと前に書いたけど、
子供のころ、僕はストーリーを読む際に、結末を予め読んでから最初から読み始める、という特殊な読み方をしていた。
今思うと、それは
「物語には必ず結末がある」ということを先に確認していたのかもしれない。
それがより良い物語であればある程、
物語世界に浸ることができ、
その物語を読み終えた時に寂しさや虚しさを感じるものだと思う
昔の僕も、今と変わらず妄想癖があった(いや、汚れのない分よりイマジナティブだったかもしれない)ので、
物語を読みながら自分勝手にストーリーの展開を考えて、
そういった展開になるよりも早くストーリーが終わってしまうことが多々あった。
その寂しさや虚しさを味わわないためにも、
先に結末を知っておいて予防線を張っていたのかもしれない。
要するに僕はストーリーを終わらせるのが苦手なのだ。
また
一昨日のアレの話になるが、
アレを6時間も書き続けていたのも、
まあ僕の文才のなさというのが一番の理由だけど、
その次の理由が書いてたら妄想が止まらなくなったからだ。
なので最後の方は終わらせるためにやっつけ仕事になっている。
中学生でバカ丸出しだった僕は、
「物語には必ず結末がある」という単純な原則を忘れて役者さんにあんな質問を投げかけたのである。
そういえば今ふと思い出したけど、その質問に対する役者さんの答えは
「君はどう思いますか?」
というものだったな。
良い返しだな、と今更ながらに思う。
そういえば(また「そういえば」だ、基本的にブログ書くのも結論とか考えずに思いつくままに書いてるからまとまりのないものになる)、
『“文学少女”と繋がれた愚者』で、
“文学少女”である遠子先輩が
「本を閉じれば、物語は終わってしまうのかしら? いいえ! それはあまりにも味気ない読み方だわ。あらゆる物語は、わたしたちの想像の中で無限に続いてゆくし、登場人物も生き続けるのよ。
わたしたちは、その物語を、明るい光に満ちたものにすることもできるし、悲しく切ないものにすることもできる。」と言っていたが、僕だけでなく誰しもが物語の続きを夢想してしまうものなのだろうか?
そして最近ではそのように物語の続きを妄想するなんてことなく「あ~、面白かった」で終わってる気がする。
これが成長して汚れつちまつた悲しみなのかもしれない。
そんなこんな(どんなこんなかわからないが)で
「家族計画」プレイ終了。
次は「CROSS†CHANNEL」をやる。
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