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こないだ友達と昼ごはんを食べているときに友達のケータイに電話がかかってきた。
その電話に出た友達は「うっさいねん!!」「しばくぞ!自分!!」とまくしたてていた。
彼女と喧嘩でもしとるんかな~、とか思いつつ電話を終えた友達に誰からだったのか聞いてみると、
返ってきた答えは予想に反して「おかん」というものだった。
母親相手に「しばくぞ!」とかよく言えるなあ、と思った。
僕はイライラしたり不機嫌になることはあっても、怒りを爆発させる、怒鳴るということはない。
おそらく僕と長年付き合ってる人でも僕が怒ってるというところを見た人は少ないんじゃないだろうか。
僕は「怒」という感情が人間の感情の中で最も忌むべきものだと考えている。
幼少の頃から父が母を怒鳴るところを何度も見てきた。
今ではだいぶ父も丸くなったが、昔は毎日のようにその光景が見られた。
というより今でも帰省して父と母が顔を合わすと喧嘩している。
そんな状況だったので、兄は一人暮らしを始めてからは「実家に帰ると疲れる」と言ってあまり帰省しなかった。
今では僕もその気持ちがわかるけど。
まあそういう父親を反面教師としてか、僕は「怒」という感情を嫌うようになった。
「嫌う」という言い方は正しくないかもしれない。
言ってしまえば僕は「怒れない」のだ。
だから友達が母親を怒鳴りつけてたり、彼女と喧嘩したという話を聞くと実は羨ましかったりもする。
「喜怒哀楽」という言葉があるように、「怒」は人間の基本感情の一つだと考えられているのだろう。
「怒」という感情もまた人間の魅力たりえるものかもしれない。
しかし僕には「怒」がない。
自分に魅力がないと思うのも、自分が人の上に立てる人間だと思えないのも
ここらへんに原因があるんじゃないかと思う。
言ってみれば僕は「欠陥人間」なのだ。
眠れなくてそういう考えに思い至ったとき、涙が止まらなくなった。
ああ、自分は「欠陥人間」なのだ。
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かといって怒ってばっかだとDQNとよばれることに。