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今年とってた講義で「古典文学作品における物の怪」というテーマのときがあった。
死んだ母親が残した娘を案じて物の怪となって現れる、だとか、
誰かを恨んだまま死んで死後に物の怪となってその人を苦しめるとか、
文学作品ではよくあること。
夢のない解釈をしてしまえば、そういうのってただの「思い込み」なんじゃないだろうかと思う。
さらに言えば「夢」なんじゃなかろうかと。
前に書いたけど、夢と現実がわからなくなるってのはあると思う。
「死んだ母親が娘の事を案じているのではないか」と思ってる人が
「死んだ母親が娘の事を案じている」という夢を見る。
病気で苦しんでる人が「あいつの呪いじゃないか」と考えて
「そいつが自分のことを呪ってる」という夢を見る。
そしてそうやって見た夢を現実だと取り違えてしまう。
これが物の怪の生まれるシステムではないか、
と現代的感覚を持つ僕は思ってしまうわけだ。
このように「物の怪生成論」を考えると、
今の僕も物の怪に取り憑かれていることになる。
「あの人は僕の事を恨んでるに違いない」と僕が思い込んでるから、
未だに別れた彼女の夢見る、週2のペースで。
別に僕が大きな病気で苦しんでるとかいうわけではないけど、
せいぜい夜眠れないとかそういったところ。
現実問題としてあっちは僕のこと恨むどころか考えてすらいないだろう。
それは僕の頭も理解している。
しかし心で理解していないから夢を見て、物の怪に取り憑かれる。
…まあ平安的な別の解釈で
「あの人が私のこと思ってるからあの人の夢を見るんだわ」
という自意識過剰乙なのもあるけど。
それも結局は自分がその人のこと考えてるから夢を見るだけだよなあ。
ダメだ、現代的感覚を持っていては平安貴族の心なんて理解できない。
まあそもそもやんごとなき方々の心を
下賤の民である僕ごときが理解しようということがをこがましいことなのかもしれないけど。
こんなこと考えてもレポートにはなんの役にも立たない。
でも頭に浮かぶのはこんなこと。
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